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支部長紹介

 

阿部 清文
(あべ きよふみ)

国際空手道連盟 極真会館
福岡支部 支部長
極真空手の段位、五段
(平成18年4月1日現在)
阿部清文支部長

昭和42年6月1日、広島県呉市に生を受ける。
平成18年6月1日現在、39歳。

「記録にも記憶にも残る男」
 阿部支部長は1984年4月、極真会館に入門。
1987年3月、極真会館山口支部(河岡博實支部長)に内弟子として入寮。3年間の内弟子生活を全うし、その間二段位まで取得、全日本大会へ2回出場、地方大会での優勝・入賞を多数成し遂げる。

 選手として頻繁に大会へ出場していた時代、その精悍で荒々しい風貌と、熱気溢れるファイトスタイルから、「野武士」や「記録より記憶に残る男」などの呼び名で、多くのファンに親しまれた。

「黒豹」との死闘
 中でも、1991年に開催された、「第5回 全世界空手道選手権大会」において、当時アンディ・フグ(故人)と共にヨーロッパの2大巨頭として優勝候補の1人に数えられ、そのしなやかで俊敏な動きから「黒豹」との異名を取ったマイケル・トンプソン(後にアンディと共にK-1選手として活躍。また、第4回世界大会では現館長の松井章圭とも死闘を演じた)との試合は、3度に亘る延長の末、これを撃破した極真史上指折りの名勝負として、それを観た者に強烈な印象と感動を与えずにはおれず、10年以上経過した今でもなお語り継がれている。
その模様はメディアエイト社からビデオが発売されているので、是非その時の熱いテンションを感じ取って頂きたい。

試し割り世界記録樹立

 また、先に「記録よりも記憶に残る男」と紹介したが、世界規模の大会である「第4回 全アジア空手道選手権大会」では見事優勝。先述の「第5回世界大会」ではベスト16に入っている。そして特筆すべきは1992年の「第24回 全日本空手道選手権大会」にて行った試し割りで、足刀、正拳、猿臂(エンピ)、手刀の全種目合計31枚の杉板を割った記録は世界記録となり、未だ破られてはいない。
大山倍達総裁曰く、「空手の醍醐味は試し割りにある」との事。

 以上の事から、阿部支部長は「記録にも記憶にも残る男」と言える。

 

道場とは、自己の振り返りを通じ、
新たな自己との出逢いを通して、
自分を成長させる場所です。
その為に、素直に、どこまでも素直に学ぶ事が 大切です。
空 手 経 歴
1984年 4月 極真会館に入門
1987年 3月 極真会館山口支部の内弟子として入寮
1990年 3月 内弟子卒寮。その間二段位まで取得、全日本大会2回出場。
卒寮後は山口支部の職員となる。
5月 第4回アジア大会出場 優勝
11月 第22回全日本大会出場
ベスト16、試割り賞受賞
1991年 11月 第5回全世界大会出場
ベスト16、試割り賞受賞
1992年 6月 第9回全日本ウェイト制大会
重量級出場
11月 第24回全日本大会出場
試割り賞受賞
(合計31枚で世界記録樹立)
1993年 3月 段位、参段を取得
1994年 6月 第11回全日本ウェイト制大会
重量級出場
8月 ブラジル・ミニワールド大会出場
10月 第26回全日本大会出場
1995年 6月 第12回全日本ウェイト制大会
重量級出場
8月 第6回全世界大会代表選考会出場
9月 本部直轄福岡道場を
福岡市南区高宮に開設
11月 第6回全世界大会出場
1996年 11月 第28回全日本大会出場
1997年 1月 田川・対馬に分道場を開設
3月 段位、四段を取得
10月 トルコ支部と経極会(極真会館後援団体)の合同稽古で松井館長、五来師範と共に指導。
格闘技フェア(パリ)演武団として参加
11月 第29回全日本大会出場
ベスト16
1998年 2月 ロシア支部合宿・審査会に参加
4月 ワールドカップ パリ大会において
演武会の演武団に参加。
香椎に分道場を開設
11月 第30回全日本大会出場
1999年 6月 公式審判員免許取得
2000年 5月 佐賀県唐津に分道場を開設
2001年 3月

福岡市中央区天神に
天神本部道場を開設

2002年 8月 本部直轄の道場から一支部道場へ
2003年 6月 準主審判員免許取得
2003年 8月 韓国に演武団として訪問

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